第5夜 日本神話(古事記) その7

海幸彦と山幸彦、釣り針一本で兄弟仲が沈む

兄の釣り針をなくした弟は、千本作って謝っても許されない。困り果てて海の宮殿へ行き、姫と三年暮らし、最後は潮を操る玉で兄を溺れさせる。釣り針一本の弁償から、兄弟関係が海に沈む。

兄の釣り針をなくす

マサ
マサ
天孫降臨のニニギとコノハナサクヤヒメの子に、海幸彦と山幸彦がいる。兄の海幸彦は海の獲物を取る人、弟の山幸彦は山の獲物を取る人。名前のまんま職能が分かれてる兄弟や。
ヤマト
ヤマト
兄が釣り担当、弟が狩り担当。わかりやすい。
マサ
マサ
ある日、弟の山幸彦が兄に言う。道具を交換してみようや、と。兄は釣り針を貸す。弟は海へ行くけど、釣れへんうえに兄の大事な釣り針をなくす。
だいち
だいち
借りたものをなくすのはきつい。
マサ
マサ
山幸彦は謝る。自分の剣をつぶして、釣り針を千本作って返す。でも兄は言う。あの元の針じゃなきゃダメ。千本あってもダメ。
ヤマト
ヤマト
メルカリで同型買っても怒られるやつ。
さやか
さやか
物そのものに関係や記憶があるから、代替品じゃ済まないんだね。
マサ
マサ
そう。釣り針一本やけど、兄にとっては仕事道具であり、自分の領域の象徴や。山の弟が海の道具をなくしたことで、兄弟の境界が壊れる。これ、ただの紛失届ちゃう。職能とプライドの事故や。
さやか
さやか
道具をなくすって、その人の生き方を雑に扱ったみたいに見えるんだね。
マサ
マサ
そういうことや。兄の怒りは器が小さいだけやなく、自分の海を踏みにじられた怒りでもある。だから千本返しても、元の一本ちゃうやろ、となる。
だいち
だいち
兄が怒る理由もわかるけど、千本拒否はきつい。
マサ
マサ
山幸彦は海辺で泣く。そこへシオツチっていう海に詳しい老人みたいな神が来る。事情を聞いて、小さな船を作ってくれる。これに乗って海の神の宮へ行け、と。
店の水槽の泡が静かに上がる。
ヤマト
ヤマト
釣り針なくして海底旅行スタート。
マサ
マサ
ほんまにそう。借り物紛失が、竜宮城みたいな異界行きに変わる。浦島太郎の原型っぽい構図とも言われる。海の底に別世界があって、そこで時間が流れる。日本の昔話の匂いがここからする。
だいち
だいち
山幸彦は針を探しに行くの?
マサ
マサ
行く。けど針探しだけで終わらへん。決めの一言。
海幸山幸は、借りた釣り針一本から、海の異界と王家の祖先までつながる話なんや。小さい紛失が、兄弟の順位、海の神との婚姻、天皇家の系譜まで連れてくる。

海の宮で姫と三年暮らす

マサ
マサ
山幸彦は小船で海の宮へ着く。そこで井戸のそばの木に登って待つ。海の神ワタツミの娘、トヨタマビメの侍女が水を汲みに来る。山幸彦はその器に玉を入れる。侍女が驚いて、姫に知らせる。
ヤマト
ヤマト
海底ナンパ、手口が上品なのか怪しいのか。
だいち
だいち
木の上で待ってるのも変だよね。
マサ
マサ
異界では変な待ち方が正解になる。トヨタマビメは山幸彦を見て、立派な人だと父に伝える。ワタツミも歓迎する。山幸彦はトヨタマビメと結婚し、海の宮で暮らす。
さやか
さやか
釣り針を探しに来たのに、結婚して暮らすんだ。
マサ
マサ
しかも三年。山幸彦、針の件をしばらく忘れてる感じがある。海の宮は快適なんやろな。現実のトラブルから離れて、異界の姫と暮らす。そら帰りたくなくなる。
ヤマト
ヤマト
兄はずっと針待ってるのに。
マサ
マサ
ある日、山幸彦が大きなため息をつく。トヨタマビメが理由を聞く。そこでやっと、兄の釣り針をなくした話をする。遅い。新婚三年目に持ち出す未解決トラブルや。
ヤマト
ヤマト
結婚前に言うべき持ち込み案件。
だいち
だいち
最初に相談してよってなる。
マサ
マサ
ワタツミは海の魚を集める。針を知らないかと聞く。すると鯛が最近喉が痛くて来てない、とわかる。呼んで調べると、鯛の喉に釣り針が刺さってる。なくした針、まさかの魚の体内保管。
ヤマトが刺身の皿を見て固まる。
ヤマト
ヤマト
今その話するのやめて。
さやか
さやか
喉の異物としてちゃんと見つかるの、妙にリアル。
マサ
マサ
ワタツミは針を取り出し、山幸彦に返す。ただ返すだけやない。兄に返す時の呪いの言葉も教える。さらに潮を満たす玉と、潮を引かせる玉を渡す。ここから弟の立場が変わる。
だいち
だいち
針を探しに行ったら、海のチートアイテムをもらった。
マサ
マサ
決めの一言。山幸彦は釣り針一本を探して海へ行き、妻と玉と復讐セットを持って帰るんや。

潮の玉で兄を屈服させる

マサ
マサ
山幸彦は地上へ帰る。ワタツミは、兄に針を返す時は後ろ向きで渡せ、とか、これは貧しい針、うるさい針、と呪いの言葉を言え、と教える。兄の力を弱めるためやな。
ヤマト
ヤマト
返却マナーが不穏すぎる。
だいち
だいち
普通に返して仲直りじゃないんだ。
マサ
マサ
古事記はここで兄弟和解に行かない。兄はだんだん貧しくなり、怒って弟を攻める。山幸彦はそこで潮満つ玉を使う。
潮が満ちて、兄は溺れそうになる。助けてくれと言うと、潮干る玉で潮を引かせる。
さやか
さやか
海の力を使って、完全に上下関係を作るんだね。
マサ
マサ
そう。弟は海で得た力で兄を屈服させる。兄の海の専門性を、海の神の力で上回る。皮肉が強い。釣り針を貸した兄が、最後は潮で追い詰められる。
ヤマト
ヤマト
釣り針一本の延滞料金、高すぎ。
マサ
マサ
ここで兄の海幸彦は、弟に仕えることを誓う。この兄の子孫が隼人の祖だとも語られる。
つまり兄弟げんかが、のちの集団の由来にもなる。古事記はほんま、家庭トラブルを民族の起源へ接続するのがうまい。
だいち
だいち
兄弟の上下関係が歴史の説明になるんだ。
マサ
マサ
そう。ここで一回聞くで。山幸彦は海の宮で妻トヨタマビメを得たやろ。地上に戻ったあと、トヨタマビメはどうなると思う?
ヤマト
ヤマト
一緒に地上で暮らす。
だいち
だいち
海と地上を行き来する。
さやか
さやか
妊娠して会いに来る気がする。
マサがさやかを指す。
マサ
マサ
さやか正解。トヨタマビメは妊娠して、地上へ来る。出産が近いから、産屋を作ってくれと言う。ここからまた見るなのタブーが来る。黄泉以来や。
ヤマト
ヤマト
また見るな。見るなは絶対見るやつ。
マサ
マサ
決めの一言。釣り針をなくした弟は、最後に潮そのものを味方につけて兄を沈めるんや。

出産を見るな、でも見る

マサ
マサ
トヨタマビメは地上に来て、産屋を作ってくれと言う。鵜の羽で屋根を葺くんやけど、葺き終わる前に産気づく。さやか、ここもう現場が焦ってるやろ。
さやか
さやか
屋根が未完成で出産が始まるの、かなり慌ただしい。準備不足だけど止められない。
マサ
マサ
トヨタマビメは言う。私は海の国の者だから、産む時は本来の姿になる。だから見ないで。はい来た。見るなのタブー、本シリーズ二回目。黄泉でイザナギがやらかしたやつの海版や。
だいち
だいち
もう見るなって言った時点で不安。
ヤマト
ヤマト
見るなは絶対見るやつ、二回目。
マサ
マサ
山幸彦は覗く。そこには巨大なワニ、サメとも言われる姿で出産するトヨタマビメがいた。夫は妻の本来の姿を見てしまう。
黄泉では腐った妻を見た。ここでは海の姫の異形の出産を見た。見た瞬間、関係が壊れる。
だいち
だいち
黄泉は死の姿、ここは出産の姿。どっちも境界の場面なんだ。
マサ
マサ
そう。死と出産はどっちも、日常の目で見たら受け止めきれない境目や。だから見るなと言われる。
なのに男側が見る。古事記、ここを容赦なく繰り返す。見るなのタブーは、人の好奇心が一番大事な境界で暴走する話でもある。
さやかの表情が少し厳しくなる。
さやか
さやか
出産は一番無防備な場面だから、見るなと言われたら絶対守ってほしい。神話でも現代でもそこは同じ。
マサ
マサ
ほんまやな。トヨタマビメは恥ずかしさと怒りで、海への道を閉じて帰ってしまう。ただし子どもは残す。
その子がウガヤフキアエズ。名前が長いけど、屋根を葺き終えないうちに生まれた、という意味が入ってる。
だいち
だいち
名前に出産現場のバタバタが残るんだ。
マサ
マサ
そう。このウガヤフキアエズの子が、のちの神武天皇になる。つまり天皇家の家系をさかのぼると、海神の娘で、出産時に巨大なワニの姿になったトヨタマビメに行き着く。
ヤマト
ヤマト
家系図にワニいるの強すぎる。
マサ
マサ
しかもトヨタマビメは完全に断つだけじゃなく、自分の妹タマヨリビメを子の養育に送る。海と地上の縁は切れたようで、子を通して続く。ここが切ない。
さやか
さやか
見られて帰るけど、子どもを放置しないんだね。
マサ
マサ
決めの一言。天皇家の家系図、さかのぼると海の底で出会った姫と、見てはいけない出産と、ワニがいるんや。釣り針一本の紛失が、最後は王家の祖先の話まで泳いでいく。

暗記用

これだけ覚えたら、教養人の顔で会話に入れるフレーズ

口に出す時は、言葉と読みをセットで覚えると強い。

  1. 海幸彦と山幸彦うみさちひことやまさちひこ

    釣り針一本で仲が壊れた兄弟。浦島太郎の原型っぽい話。

  2. トヨタマビメとよたまびめ

    海の神の娘。出産を覗かれて海へ帰った、神武天皇の祖母。

  3. 潮盈珠と潮乾珠しおみつたまとしおふるたま

    潮を自在に操る2つの玉。兄を屈服させた最終兵器。

  4. 隼人はやと

    屈服した海幸彦の子孫とされる南九州の人々。

よくある質問

Q. 海幸彦と山幸彦とは誰か?
A. ニニギとコノハナサクヤヒメの子の兄弟だ。兄の海幸彦は海の幸を取り、弟の山幸彦は山の幸を取る。
Q. 山幸彦はなぜ海の宮へ行く?
A. 兄の海幸彦から借りた釣り針をなくし、返せなくなったためだ。シオツチの助けで海神ワタツミの宮へ向かう。
Q. トヨタマビメとは誰か?
A. 海神ワタツミの娘で、山幸彦の妻になる女神だ。出産時に本来の姿である巨大なワニ、またはサメの姿を見られ、海へ帰る。
Q. 潮満つ玉と潮干る玉とは何か?
A. 潮を満たす玉と引かせる玉だ。山幸彦はこれを使い、兄の海幸彦を溺れさせて屈服させる。
Q. 海幸山幸は浦島太郎と関係がある?
A. 海の宮へ行き、海神の娘と暮らす構図が浦島太郎の原型のようだと言われることがある。ただし物語の筋は別物だ。

次に読む

もし現代でやったらコンプライアンス違反疑惑度★★★★★

借り物トラブルの解決手段が水責めなのよ

  • 刑法208条人に暴行を加えたが傷害には至らなかった場合に関する規定(暴行)。
  • 刑法223条暴行や脅迫を用いて、義務のないことを行わせるなどの行為に関する規定(強要)。
  • 軽犯罪法社会生活上の軽微な秩序違反行為を取り締まる法律。
  • 民法709条故意または過失によって他人の権利を侵害した者に損害賠償責任を負わせる規定(不法行為)。

元になった物語の出来事に、現代日本の実在する法令を当てはめたらどの条文に触れうるか、という読み物としての見立てです。条文番号だけを並べています。

入試に出た

この作品が実際の大学・高校入試でどう問われたかを、出典を明記して紹介します。

  • センター試験 日本史B2010日本史B

    出典: 『古事記』の成立過程(正誤判定)

    古代の歴史書の成立について、『古事記』がどのように作られたかを正誤判定させる選択肢が出た(稗田阿礼と太安万侶の役割の組み合わせ)。

    答えの要点:『古事記』は712年成立の現存最古の歴史書。天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に神話・伝承・系譜を「誦習」(暗誦)させ、のち元明天皇の命で太安万侶(おおのやすまろ)がそれを筆録して712年に献上した、という流れを押さえれば正解できる。「稗田阿礼が読み習わせていた神話や伝承を太安万侶が筆録して完成させた」が正しい記述。日本書紀(720年・舎人親王ら・漢文編年体の正史)との区別も定番の引っかけ。海幸山幸の日向神話はこの『古事記』上巻に載る話。

腕試し(オリジナル問題)

過去問の丸写しではなく、この記事のために作った自作の練習問題です。腕試しにどうぞ。

問1山幸彦が兄・海幸彦を屈服させるために使った2つの玉の名前と働きを述べよ。

問2トヨタマビメの出産の場面を「見るなのタブー」の観点から説明し、生まれた子と天皇家の関係を述べよ。